貴方を抱く騎士となり






 とある高級住宅に、車が一台静かに入っていった。


 ポーチに車を止めて素早く車から降りると、青年はそっとあたりを見回した。
 誰がいる訳でもないが、一応周囲の人影を探す。見当たらない事に安堵して、音も立てずに住宅の玄関ポーチに立った。
 インターホンを一度だけ鳴らし、コートのポケットから鍵を出す。
 それはこの家の玄関の鍵で、スペアも合わせて二本しか存在していない。もう一本はこの家の管理を任せている老人に手渡されていた。しかしその老人は今現在この家に住んでおり、常に持っているから、家の外に出ているのは青年が持っている鍵だけだ。
 がきりと音を立てて鍵が開いた。玄関扉には鍵を掛けておくようにといったことを、老人はきちんと守っているらしい。微かに頬を緩め、青年はノブを回した。
 そのまま大きく開かず、そっと身を滑り込ませた主人に、今玄関ホールに来たばかりの老人は少し慌しく駆け寄った。

「お帰りなさいませ」
「調子は?」

 長身を包むコートを老人に差し出しながら先に歩き出す。立ち止まって話すような、時間の無駄遣いはしたくなかったのだ。
 恭しくコートを受け取り、その一歩後ろを歩きながら、老人は抑えた声で返答する。

「昨夜より少々熱を出されまして……お薬はお飲みになりましたが、まだ下がっておりません」
「そう。寝てる?」
「いえ、五分ほど前までは寝ていらっしゃいましたが、今はお起きに」

 長い廊下を大股で進み、重厚な扉の一つを見据えて足を止める。
 銀縁の細い眼鏡を取ってスーツのうちポケットに差し込み、そっとドアノブを回した。




 部屋の電気は落とされているものの、ベッドサイドのランプは小さくつけられていた。
 セミダブルのベッド全ては照らせないものの、横たわる人物には十分な灯りだ。
 扉が開いたことに気づいたのか、頭を傾けて青年を見つめてくる。

「気分はいかがです?」

 毛足の長い絨毯の上をすべるように進み、ベッドサイドに置かれた椅子に静かに腰掛けると、青年は小さく笑みを見せた。

「……ち、と…だるい…」

 でもそんなに辛くねぇよ。
 何時だって、例え酷い発作の後ですら同じ事を口にする彼の言葉だ。信用が出来ない。
 事実シーツに投げ出された右手は握り締められており、物憂げに寄せられた眉は時折寄せられていて、辛くないという様子ではなかった。

「嘘はつかないでくださいと言ったばかりでしょう? 貴方が嘘をつくたび、私も寺井も姫も要らぬ心配をせねばならなくなるのですよ」
「ん……」

 解っているといいたげに、しかし見栄を張るのが得意な青年は、静かに目を閉じた。






 怪盗KIDが高校生探偵・工藤新一を匿って、既に一月が経とうとしている。
 その間彼の家にはマスコミが押しかけ、それが収まってから知人やファンが押しかけ、更にその騒ぎも収まってからは彼に近しい親友たちがやってきた。
 勿論そのどれもが、隣人たる阿笠博士とその養女に探偵への面会を申し出たが、全て却下された。
 マスコミは元々駄目元だったらしく、どちらかと言えば警察についていっていた。知人やファンは、彼が屋敷にいないと知ると、必死にホテルを当たっているようだった。
 ただ親友たちは、どうやら彼が隣家にもホテルにも、彼等の知るどの避難場所にも居ないと知っているようだった。
 そしてその行く先を知るのが、隣家の二人だと言う事も。
 それでも親友たちは、彼等を信じて口を出さなかった。

 一部は、そうでもなかったが。



「何で教えられんのや!?」

 居間から響いてきた関西弁に、阿笠は思わず足を止めた。
 コーヒーを載せたトレイを持って居間に入ると、ソファから立ち上がっていた青年がぎらりとした視線を向けてきた。
 それまでその視線に晒されていた少女はといえば、ちらりとこちらに視線を向けたかと思うと、すぐに青年に視線を戻して溜息をつく。

「博士にまで当たらないでくれる?」

 コーヒーを受け取りながら青年を睨みつけ、少女―宮野志保は阿笠に座るよう促した。
 指摘されて恥ずかしくなったのか、青年―西の高校生探偵と名高い服部平次もまた、改めてソファに座りなおす。差し出されたコーヒーを啜り、しかし再び油断無い視線を志保に向けた。

「工藤が引きこもってもう半年以上や。その間ずっと体調がそぐわんから会わせられんて言うから、俺も何も言わんかった。時間経てば会える様にもなるやろ思うてな。せやけど事件あって、工藤が犯人に殺されかけたて聞いて、それでも無事な姿一つ見せられんて何やねん!? 俺らが心配してるの邪魔やて言ってるようなもんや無いか!!」
「仕方ないでしょう? あれ以来彼の容態が安定していないのは本当だし、本人が誰にも会いたくないって言ってるんだから。無理に会わせて回復が遅れるなんて冗談じゃないわ」
「目暮はんは会うたって聞いたで?」
「事情聴取が必要だったもの。それが無ければ会わせなかったわよ」
「…………ほな、黒羽っちゅう奴は、どうなんや?」

 ぴくりと、志保の眉が動いた。
 それを見逃すほど、平次も馬鹿では無い。

「黒羽なんて、毛利のおっさんも姉ちゃんも知らんて言うてた。俺かて知らんわ。せやけど目暮はんに聞いたたら、そいつが工藤の世話しとるってあんたが言うてたそうやな。 ご丁寧に鍵預かって、食事の世話までしとったそうやないか?」
「……ええ」
「可笑しいやろ? 知り合いには任せられん、会わせられんて言うてるのに、赤の他人には任せられるんか?」
「…………」
「もしかせんでも、工藤今そいつんとこにおるんやないか?」
「……ええ、そうよ」

 答えた瞬間音を立ててマグカップがテーブルに叩きつけられた。
 おろおろと阿笠が二人を見返す中、無言の睨み合いが続く。

「…………何処におんねん」
「言ったでしょう、会わせる事は出来ないわ」
「信用出来ん相手んとこに工藤がおんねんで!? 納得出来るかい!!」
「信用出来ないのは貴方であって、私でも工藤君でもないわ。この事に関して貴方が口を挟める事なんて一つも無いの」
「せやかて、一目そいつの面拝むくらいは出来るやろう!!」
「彼も彼で忙しいのよ。余り我侭を――」


「俺は構わないよ、姫」


 全く気配が感じられなかった。
 はっと振り返った先に、戸口に気だるげに寄りかかる黒衣の青年を見て、平次が息を呑んだ。

 長身をコートに包み、白い面には薄い色のサングラスをしている。
 パッと見はモデルもかくやと言うような美青年だ。
 しかし、その視線は真っ直ぐに平次を射抜き、隙あらば食らいつかんとする獣のような殺気を孕んでいた。

(…こいつが…黒羽? 何者なんや……普通とちゃうで、この殺気!!)

 気を抜けば震えそうな膝を黙らせ、奥歯を噛み締めて視線を返すが、青年は平次の葛藤など毛ほども気にしていない様子で志保の隣に進み出た。

「初めまして、西の探偵さん。俺が噂の黒羽快斗です」

 気障な仕草でサングラスを取り、にっこりと微笑む姿からは先ほどまでの殺気は欠片も感じられない。
 だがそれが逆に、平次に危険信号を与えていた。
 人好きのする笑顔で志保に話しかける、その横顔にすら隙を感じない。

「…………何でや……!! 何でこないな男信用出来るんや!? 姉ちゃんも工藤もおかしいで!?」
「おや、随分と嫌われちゃったみたいだね」
「やかましい! おんどれに聞いとるんちゃうわ!!」

 噛み付かんばかりに叫ぶ平次に、快斗は口の端を僅かに上げるだけだ。

「あんまり騒いじゃ駄目だよ、大声はお行儀も悪いしね」
「黙れて言うてるやろ!!」
「静かにしてちょうだい」

 静かに口を挟んだ志保を、平次は頭に血を上らせたまま睨み据える。しかしその視線の先で、青褪めている阿笠を見て、戦慄かせた唇をぐっと引き締めた。
 唇を噛んで黙り込んだ平次を座るように促し、志保は快斗にも席を促すと、阿笠を庇うようにコーヒーのおかわりを頼む。平次や蘭達に知らせない事へ後ろめたさを持つ彼には、ここにいる事は苦痛だろう。そう思っての判断だった。

「……声を荒げなくても話せるでしょう? 黒羽君も下らない挑発をしないでちょうだい」
「はぁい」

 軽い返事をする快斗と違い、平次は素直に返事をする事が出来ない。
 幽かに残った冷静な思考で考えようとするが、怒りが強くてそれどころでは無くなってしまう。
 新一や志保が彼を信頼し、傍に置く理由など、どう考えても分からない。
 むしろ彼等が嫌悪し遠ざけるようなタイプの人間ではないか。

「さて、聞きたい事で答えられる事なら全部答えてあげるけど?」

 余裕の笑みでこちらを見やる男は、容貌だけで言うならば工藤新一に似ている。だがその内に秘める物は余りに違って見えた。
 こみ上げる吐き気を押さえつつ、平次はゆっくりと口火を切る。

「…お前が何で工藤とおんねん」
「それは名探偵に聞いてもらわないとネ。俺は彼のそばに居たくているだけ。拒まないのは名探偵の決めた事」
「せやったら何時アイツと会うた?」
「あんたの知らない間に。俺はあんたとも間接的に会った事はある」
「何でそないに工藤に拘る? 面倒やと思わんのか?」
「あんたはそう思うの? 俺は生憎思わないね」
「……正直、お前等と話してても埒があかんのや。工藤に会わしてんか」
「申し訳無いけど、それは却下。あの人最近酷くてね、俺も碌に会えない状態なんだ」

 口の端に上らせていた笑みを消し、真剣な表情で快斗ははっきりと言い切った。
 眦を険しくした平次が口を開くよりも早く、次の言葉を吐き出す。

「あの人が死ぬほど見栄っ張りだってのはあんたも知ってるよね? 必要以上に人の感情に弱い事も。なら分からないかな? あの人、無責任な慰め嫌いなんだよ。副作用が自分の体にどんな変化を起こしているかって事は、きちんと姫からも聞いてるし、何より自分自身がどんな状態か知ってるから、あんたたちの慰めは逆に辛いだけなんだよ、今のあの人にはネ」
「………っせやかて、」
「あんたは心のどこかで、あの人のあるべき姿ってのを作ってる。あの人が参って愚痴を零しても、そんなのあの人らしく無いって一蹴しちゃうでしょ? でもあの人は他人の見る自分を守る前に、自分自身を支えないといけない状態だったんだ」

 形だけでおかしな期待されるのは不愉快だって、あんたも解ってるでしょ?

 冷たい声が、平次の耳を突き刺すように響いた。