キミと僕と二匹の猫






 人間に救われた。

 不可抗力やねんけど、なんやごっつぅ得した気分や
 …………まあ、

 あいつの視線がなければやけど。





 祖父は昨日から知り合いと旅行に出かけていたので、その日私は1人で留守番をしていた。
 もう成人しているのだし、留守番というのも可笑しな話だけれど。
 のんびりと本を読んで、コーヒーを飲んで。平穏ここに極まりといった感じ。
 平穏な日常生活というのは意外に掴みづらい物だと言う事を、隣家の青年と留学した過去から学んでいたから、退屈な時間に文句を言う気もない。

 でも、天に二物も三物も与えられた隣の探偵さんが、ごく些細でもトラブルを起こさない日は少なくて。


 不意に鳴り響いたインターホンに、私は読んでいた医学書を閉じて立ちあがった。
 玄関に向かうと、硝子戸に見なれた人影が映っている。その格好からして、最近彼が拾ってきた猫でも抱えているのかもしれない。
 ならば余計なトラブルではなく、彼も純粋に暇潰しに来たのかもしれなくて。
 それならば歓迎だわ、と、彼が開けるよりも早く扉を開いた私の目に映ったのは、焦げ茶の塊。
 見ればその足元に、見なれた黒猫と対照的な白猫がいた。

「…工藤君、幽霊屋敷を猫屋敷にするの?」
「……ちげーよ」

 思ったら即口をついて出た一言に、工藤君はがっくりと肩を落とした。
 ご主人様大好きな黒猫が苛立ったようにうろうろするのを見ながら、私は笑った。

「だってかいとじゃない猫を連れているんですもの、そう思ってしまうわ」
「あのなあ……ちょっとかいとが怪我させちまったから、手当てしてやってくれねーか?」
「私は獣医じゃないわよ?」

 一応医師免許は持っているし、何かと無理ばかりする工藤君の主治医を買って出てはいるけれど。
 頼られているのは嬉しいけれど、こういう時はちょっと切ない。
 それでも、

「俺よりはマシだろ」
「そうね」

 多分救急箱の中にまともなものが無かったのね。今度補充しにいかないと。
 心の中で密かに決意しながら、私は工藤君の抱く猫を受け取った。
 勝手に上がってくるのに任せて研究室へ向かう。

「こら! 反省してるのか?」
「にゃ〜〜〜、みゃおぅ〜〜〜」
「わっ!! おいこら毛が着くだろ!?」

 アレだけ主人に固執する猫っていうのも珍しいと思う。
 きっと匂い付けでもしているのだろう、かいとは異常なほどに工藤君に懐いている、本当に頭のいい猫だから。

 それはさておき、テーブルの上に猫を下ろすと、私は傷の検分を始めた。
 意外と傷は深かった。猫の牙にしてはちょっと大きい。でも縫合の必要はない。一週間もあれば完治する程度のものだ。
 取り敢えず患部の毛を剃って、消毒をしてガーゼを当てる。くるくると包帯を巻くと息苦しさにか猫が溜息をついた。
 良く見れば、大人しく手当てを受けているこの猫も、欠伸をした時に見えた牙は鋭く大きかった。
 何だか、猫サイズの豹を触ってるみたいな気分になった。

「……ちょっと、採血をさせてね」
「ッ!?」

 それまでぐったりと横たわっていた猫が、ぴんと耳を立てて勢いよく顔を上げた。
 ……私が言った言葉を理解した?
 まさか。習慣となった言葉や音声に反応することはあっても、人間の言語を理解するなんてありえない。
 でも。

「深い意味はないわ。ただ貴方が何らかの病原体を持っていたりしたら、かいとや工藤君に移りかねないからよ」

 失礼な、と言わんばかりの目が私を見詰めている。
 明らかに私の言葉を理解している。
 この猫何だって言うのかしら? 興味深い。尚更血が欲しくなったくらい。

「ちょっと痛いわよ」

 噛まれるかと思ったけれど、何もされなかった。
 やっぱりこの猫って、とてもおかしい。
 確かあと一匹いた筈、白い猫。あの猫もそうなのかしら?
 もしかしたらかいとも…?

 私は頭を振って疑念を飛ばし、容器に採取した血を保存して、猫を抱いて研究室を出た。


 そこで私を待っていたのは煩い猫の合唱。
 黒猫と白猫が向かい合って鳴きあっている。飼い主は飼い主でお手上げという風に耳を塞いで、私に気付くと軽く肩を竦めた。

「悪ぃ……抑えたんだけど」
「…いいわ、別に。はい、この子返すわよ」

 その膝の上にすとんと猫を置くと、私はそっと白猫に歩み寄った。
 そしてそのまましっかりと背中を捕まえ、腕に抱き上げる。

「みぎゃっ!?」

 何が起こったのか分からないまま固まった猫を連れ、研究室に向かうまま、肩越しに工藤君に声をかける。

「あとでかいとも貸してね。この子達は野良猫なんだから、病気感染の有無は調べて置いた方がいいでしょう?」
「お、おう。サンキュ…って、こらかいと!!」

 かいとが泡を食ったように工藤君の肩に飛び乗ったらしい。
 ………やっぱりあの子も理解出来てるみたい。

 調べ甲斐…ありそうね。



 採血し終わると、猫達はどこか怯えたように私を見て、そそくさと工藤君の元へ走って行った。
 怖がられたかしら? まあどうでもいいけれど。
 工藤君は早々に猫をお伴に家へと帰って行った。
 私も早くあの血を分析したくて、つい邪険に追い出してしまった。

 少しずつ分け、薬液を垂らしたり分離して見たり。
 興味深さに、私は時間を忘れて没頭していた。そして初めてその結果が出た時、真剣に自分の目を疑った。

 これは、何?

 信じられなくて再び同じ作業を繰り返す。
 でも、出た結果は最初と同じで。

 ……工藤君、貴方何を飼っているの?

 思わず隣家の灯りに目を向けた。
 私の耳に、猫達と工藤君の怒鳴り声が聞こえてきた。