猫に関する昔話がある。
猫とはいえ、実際は猫型の妖精の話なのだが。
…………まあ、
昔話だ。
ケット・シー。cait sithと書く。
カット・シーとも言う。
ケットが「猫」、シーが「妖精」という意味の、文字通り名通りの猫の妖精の事だ。
スコットランドを発祥としていて、話としては「長靴を履いた猫」が一番有名だ。
某RPGの召喚キャラとか、悪魔キャラとか、デブモー○リに乗った関西弁キャラクターとか、某デブ猫として出ていたのが記憶にあるけど、伝承の中じゃまかり間違ってもあんな姿をしているなんて事はない。
ケット・シーは総じて黒猫で、胸に白の斑がある。この斑が妖精の証なんだとか。
目は知性に満ちた緑色に光っていて、人間の言葉を理解する事も出来るけれど、普段は全く猫の振りをしているらしい。ただ慌てるとついつい人語を話したり、二足歩行になったりしてしまうんだそうな。これが「長靴を履いた猫」に取り入れられたとかなんとか。
各地に伝わる「猫の王」伝説によれば、ケット・シーは木の洞や廃屋に自分たちの王国を持っているらしい。そして王や王妃、僧侶、一般市民がいるという。伝わる伝説としては、たまたま葬式を発見した若者が、宿で友人にその話をしたところ、宿の黒猫が「次の王は私だ」と叫んで煙突を駆け上がって行ったというものがメジャーだろう。
彼らは普通、人間に危害を加えることなく暮らしているが、人間が虐待した場合、猫の王族が牡牛くらいの大きさになって、自分たちの王国へ人間を引っ立てていくという。
自分の飼っている猫が、はたしてケット・シーであるかどうか確かめるには耳の端をちょっと切ってみればいい。ケット・シーなら「無礼者!」と言って、抗議してくるらしいが、どっちにせよ引っかかれるのは覚悟しなければならない。てか、耳切ろうとすればどんな猫だって怒るに決まってる。
外国だけではなく、日本にだって猫の伝承くらいある。長く生きた猫が化けるという猫又がその代表だ。
よなよな行灯の油を舐めるとか、尾の先端が二つに分かれているとか。騙し討ちされた主人の血を舐め、復讐したという話もある。
…………まあ、どう見ても昔話で、伝承という類のものから出る事のない話ばかりだ。
そう、その程度の話だったのだ。
その日までは。
いつも飄々としている宮野が、どうにも理解できないといった顔で俺を見つめている。
コーヒーを出しても口をつけようとはせず、淡々と化け猫の話などを聞かせたあとは、この通りだんまりだ。
「…………なあ、それで?」
「…………」
いっそ頑ななほどに口を噤んで、しかしやっと動いた彼女が俺に差し出したのは何かのデータ。
細胞構成だとか血液成分表だとか、こっちは遺伝子?
「何だこれ?」
「いいから見て」
「…………??……!!?」
訳も分からないままにつらつらと眺めて…………絶句する。
これは、何だ?
形は生物のそれなのに、構成物質が分からない。全く未知の、もしくは発見されていても正体の判明していない物質が生物細胞の形を取っているとしか思えない、これは?
何なんだ、一体!?
顔を上げると、宮野は目を伏せたままコーヒーを飲んでいた。
いやな沈黙がある。
「……それはあの白猫のデータよ」
「はぁ!?」
「微妙な変動はあっても、他の二匹も同じ。全く分からないモノで出来ているのよ、あの猫たち」
「…………それで?」
聞かずとも彼女の言い分は理解できる。
全く説明できない猫型の生物を説明する、不確かな理論。
でも、あれが妖精とか猫又って奴だっていいたいのか? あれが!?
考えが露骨に表情に出ていたらしい、俺の顔を見て宮野も呆れたような溜息をついただけだった。
それは肯定で。
「………………馬鹿らしい」
「そうね。で、問題の猫たちは?」
「さっきまで庭で騒いでた」
「そう。でもね、さっきの事以外に理由が考えられるなら教えて欲しいわ、名探偵さん?」
「夕方位には帰ってくると思うけど。教えろったって何を言えばいいのか…」
「あら、じゃあ私の言いたい事を言っていいかしら? 怪しい組織が作ったって言ったらまだ信憑性を感じるの?」
「さっきから言ってるだろーが。そっちの方がまだ納得は出来るよなぁ…」
「あの猫、かいとも含めて捨てなさい。じゃあ最初にそう言った方が捨て易かったかしら」
「かいとも!? 捨て易いって何だよ!! 冗談だろう!!?」
「冗談なんて一言も言ってないわ」
「俺にはどっちにも冗談にしか聞こえないんだよ!!」
何とも掛け合い漫才のような会話だが、言いたい事はきちんと言い合っているあたりが俺達らしいと言えるな。
どざっ、と、沈黙が肩にのしかかった気がした。
「………貴方が猫一匹に拘るとは思わなかったわ」
「………お前だってかいとの事気に入ってたくせに」
「それとこれとは話が別だと言いたいわね。唯でさえ色々問題持ちの貴方が、更に問題を抱える事を懸念しているだけよ」
普段が普段だけにその言葉に反論が出来ない。
結局、宮野は本当に言いたい事を言って帰って行った。
俺は…………冷えたコーヒーを前に、書類とにらみ合っていた。