何が起こったのかなんて。
理解も出来ないし納得も出来ていない。
しかし…………。
俺の選択肢はたった今、生まれたばかりだった。
おう?
Kingってことか? centerでもhollowでもpursueでもなく、王か?
待て待て、何だって一般市民(少々逸脱した職についてはいるが)の俺がいきなり見ず知らずの奴に「王」なんて呼ばれなくちゃいけないんだ?
俺の混乱を察してか、男は上品な笑みを口元に浮かべて頷いた。
「自己紹介が遅れましたね。私はトウイチと申します。私どもの国の名前もお教えしたいところですが、残念ながら人の声帯での発音は難しい。しかしそれでは説明に苦労しますので、『猫の国』と呼称しておきましょう」
「猫の国…?」
「はい」
『人の声帯での発音は難しい』だぁ?
…………何だか嫌な発想が頭の中に浮かんだんだが、俺ってこんなに夢見がちな青年だっただろうか?
待て待て落ち着け俺。
説明全部聞いて見て、そしたらドッキリだったという落ちがありそうじゃないか。
いきなり突飛な発想したら、ケット・シーなんてのたまった宮野と同じじゃないか。
「…ええと?」
「ああ、まだ混乱していらっしゃるでしょう。そんなときに効果的な質問と言うのは浮かばないものです。先にこちらから事情を説明します」
「はあ…」
何が何だか、はっきりいってわかりゃしねぇ。
今日は厄日か?
闇色の猫が走っていた。
その後を追尾するように木の陰を、塀の上を、沢山の猫が走る。
異様な光景は、しかし人の目には映っていない。
「王ということでご理解いただけると思いますが、猫の国は世襲制の王制国家です。この日本という国にも昔、士農工商なんて制度があったそうですが」
「国の成り立ちとしては欧米の物なんだな?」
「オウベイ…ああ、欧米ですか、そうです。王があり、貴族、臣下、兵、農民や商人、職人……向こうのヒエラルキーと同じですね。こちらで言うところの中世世代の構成をとっています」
向こうとかこちらとか、何だか不穏な台詞だな……。
苦虫を噛んだような顔になってるに違いない俺の前に、不意に緑茶の香りが立ち上がった。
テーブルを見下ろせば、湯飲みに暖かな茶が汲まれている。
そして俺の隣には、クラシカルなスーツが似合いな老紳士がトレイを手に微笑んでいた。
この瞬間の俺の混乱と衝撃を察してくれ…。
「ああ、彼は私付きの執事で、ジイと申します。彼の入れるお茶は絶品ですよ」
「…………」
「長い話になりそうですから、気を利かせたのでしょう。大丈夫、毒などは入っておりませんよ」
ああそうかい。
投げやりな俺の気持ちを誰も笑わないで欲しい。
何せ今日はとんでもない事が重なりすぎているのだ。殺人犯との追跡劇、ぎりぎりの対面、猫の海。その締めでこの状況なんだから。
これならまだ警察で捏造事情を話してた方がましだったかもしれない、と思うあたりに俺の限界が近い事が分かる。
毒云々は確かにないだろう。まだ俺は何も知らない状態なんだから。
取り合えず今は、落ち着きたい。
白磁の湯飲みを持ち上げ、一口。
緑茶独特の甘味がほんのりと口の中に広がった。
「…美味い」
「有難うございます」
折り目正しいジイさんのお辞儀に俺も慌ててお辞儀する。
いや、マジで美味かった。
そして何より、疲れていた身体にじんわりと染み渡る温度が心地よくて、俺はやっと一息つけた気分になった。
「さて、続けても?」
「…ええ。とりあえずは落ち着いたので」
「無理をさせて申し訳ない。しかしこれは火急な事なので、もう少しお付き合いを願います」
「はい……」
ジイさんは早々に席をはずしている。
しかしキッチンの方で音が聞こえるから、恐らくそこで茶の用意か何かをしているんだろう。
まあ、現状でそれは関係ない。
茶を一気に飲み干すと、俺は聞く体制に戻った。
「では。先程説明したとおり猫の国は世襲制なのですが、王は自分の衰えを感じたら世代交代を臣下に申し出ることが出来ます。臣下の代表が勤める元老院にそれが認められ、許可をされると幾つかの一族が代表を出すのです。代表は元老院だけでなく氏族内で厳密な審査を受けた者です。彼らがそれぞれ決闘をし、勝者が王となります。敗者は王の側近として働きます」
厳密に言えば世襲ではないかもしれないが、だが日本の江戸時代の将軍と考えればいいのかもしれない。
まあ、決闘はしないけれども。
「今代の王も世代交代が承認され、王と臣下も決定いたしました。しかし次代の王は、ある提案を出したのです」
『この国と違った世界との交流もあるが、自分はその世界を知らない。勉強に出てもいいだろうか?』
「皆の意見は真っ二つに分かれました。次代の王に何かあってはとも、交流の仕方を明確に知っていた方が頼りになるとも、皆が声高に言い合いました。そこで元老院は彼の父に決定権を与え、彼は承認をしたのです。いずれにしても違いも何もかも知っておくべき事であると思ったからです。ただし側近たちも連れて行くことと、王位継承の儀式の日までに帰る事が条件として与えられました。
しかし世界を渡ったとき、ハプニングが起きました。持って行ってはいけない『あるもの』を、次代の王は持っていってしまったのです。そのため何とか移動は成功したものの、側近たちとははぐれてしまいました。
『あるもの』とは……」
そこで初めて、それまで俺をまっすぐに見据えていたトウイチさんの目が落ちた。
――――違う。
俺の手を見ている。
…………俺の、手の――指輪を。
思わず視線を落とした俺の耳に、トウイチさんの静かな声が響いた。
「王たる証の、王冠です」
俺の左手の指に光る、銀の指輪――――王冠の形をした。
「貴方の指に輝くそれこそが、我らの王が冠するもの。そして――――」
待ってくれ。
これ以上聞きたくないんだ。聞いたら終わってしまう。
俺に選択肢が現れてしまう。
こんな夢物語に登場するなんて冗談じゃない、俺にとっての現実は少し普通から逸脱している位でいいんだ、明らかに次元の違う世界にまで現実を持ちたくない。
無情な声が、そんな俺の祈りを砕いた。
「今夜こそが継承の日でした」
「親父」
突然の声に、俺とトウイチさんは顔を見合わせた。
部屋を見回しても誰もいない―――いや、リビングの窓の下に、黒猫がいる。
「快斗」
「何で………なんて、愚問か」
「分かっているようだね」
「探たちにも囲まれたからな。でも俺は何も言い訳しないぜ」
「そうだろうね。お前が何を欲しているかは、私も知っていた。そしてそれを手に入れる為なら何をするかも」
「分かってて、止めなかったのか」
………ちょっと、まて。
「止めても意味がないと思ったし、こんなことがあってもいいかなと思ったんだよ」
「―――親父も元老院に吊り上げられるんじゃないのか?」
「うん、それはこっちに来る前に突っ込まれたねぇ」
「どうすんのさ」
「まあそれはねぇ、私はほら、もうお役ごめんだから」
「面倒だけ押し付けようってのかよ!!」
「ここまでやったんだから最後まで自分で頑張って見なさい」
「うわっ、そこだけ親父臭いこと言いやがって!!」
―――待て待て待て!!!!
何で会話してるんだ、ってか、何で俺理解してるんだ!!?
「さて、快斗。君は私に何かを言う前に、説明をすべき相手がいるんじゃないのかい?」
すっと、黒猫の紫の瞳が俺を見つめた。
耳がぱたりと動き、ゆっくりと足が進みだす。
その体がじわりと輝いて。
一瞬のフラッシュの後、そこには一人の男が立っていた――――。