キミと僕と二匹の猫






 御伽話なんて夢でしか無い。

 現実に迷い出るなんて幽霊話と同レベルだ。
 まあ…………。

 現状を見たら、そんなことは言えないが。





 ――――俺はこいつを知っている。

 だってさっき、時間にしたら一時間ほど前に会ったばかりだ。
 こいつが俺にこの指輪をしたんだから。

 でも―――じゃあ、かいとは何処にいったんだ?

 思わず見回す俺に、男は苦笑したようだった。

「新一、俺がかいとだよ」
「…んな訳あるか。明らかに遺伝子から違ってんだ。何より猫と人間じゃ細胞数から形状まで全く違うじゃねぇか」

 思わず言い返すが、とても嫌な現実が俺の目の前にある。
 目の前の男の手首に嵌っている、細い首輪。
 かいとを拾った時に、勢いでホームセンターに買いに行った首輪だ。

 そんな馬鹿な。
 思う脳裏に宮野の顔が蘇る。
 非現実なんて、一歩踏み出すだけで現れるもんだ。
 そしてそれは踏み出さなくても巻き込まれるものなのだ。

 だからってそう簡単に納得出来る訳ねぇだろ!!

「新一……」

 言いたい事をどういえばいいのやら。

「………つまり、さっきの話はこいつの話だったってことか」
「そうですよ」
「で、その、猫の国だったか? こいつがそこの次の王って?」
「そうです―――と、言いたいところなのですが」

 そこで言葉を切ったトウイチさんは、男に対して座るように顎をしゃくった。
 それに従い、男は俺の隣にすとんと座り込んだ。

「話は戻りますが、次代の王が王冠を持って出たせいで、勿論国内は大混乱に陥りました。決定事項であるとはいえ、権利を譲渡された訳ではない。国の象徴であり、王たる者の証であり、全てを統べる力を秘めたそれを持ち出すという行為は、自国への反逆行為と見なされるものです。
 渡航以降、完全に行方をくらませてしまった次代の王に、元老院も側近たちも寝食を忘れて探しました。その甲斐あって、何とか見つけることが出来ましたが、次代の王はもう二度と国には戻らないのだと言うのです。共に住んでいる者の傍にいたい、ここにいることが自分が欲した事だと、今更ながら子供のように駄々をこねたのだそうで」

 香ばしい香りと共に珈琲が置かれた。再びジイさんだった。
 優しい笑みのまま俺とトウイチさん、男の前にカップを置いていく。
 男の前の珈琲は異様に茶色い…というか、白に近かったけれども。

「今夜、皆は実力行使で連れ帰り、最悪その場ででも継承の儀を行おうとしていました。王冠は恐らく、今夜であれば彼が持っているだろうと判断したのです。彼の要求からすれば、何らかの行動をとるとすれば、今夜以外にありえない。今夜こそが継承の儀を行うべき夜でしたので…。
 どうやら家人は出掛けているらしく、それを探して彼も姿を消していた。しかしどうにかして発見したものの…彼はそれを逆手に取ったのです…」

 そっと飲み込んだ珈琲がやけに苦く喉を焼く。
 何だか、やっと俺が分かる部分に至るのだろうか。それを認めるのは少々心苦しかったりもするのだが。

「彼は王冠の力を持って、元老院や側近など臣下たちを巻き込み、強引に継承の儀を行ってしまった。継承すべきでない相手に、その王冠を相続させてしまったのです」


「―――――――それが、俺?」


「「はい」」

 何時の間にか傍に控えていたジイさんとトウイチさんが、きっぱりはっきりと頷いてくれた。

 ………慰めにも何にもなりゃしねぇ…。

「―――――――…全部こいつのせいで?」
「うん!」
「死んどけ、てめぇ!!!」

 指を差した先にいる男が、何だか嬉しそうにこっくりと頷いたので、取り合えず理解不能で今までもやもやしていた分を纏めて拳に込め、振り上げておいた。
 ばったりとソファの上に沈んだ男を無視し、俺は改めて左手の指輪―猫の国の王冠―を見る。
 継承って言っても指輪だ。それなら返せばいい話だよな。奴らの話ぶりだと、このまま俺が国王になるのは冗談ではすまない事態になりかねないようだ。俺自身も洒落にならない。人間的非日常は受け入れてもメルヒェンな非日常は受け入れがたい。
 とにかく返そうと重い、指輪を引き抜こうとする。
 だが。
 重みも殆ど感じないそれは、接着剤ででも貼り付けたように俺の指から抜けようとしない。引っ張ってもねじっても、ただひたすら俺の指にしがみついて動こうとしないのだ。

 焦り倒す俺に、トウイチさんが酷くお気軽な、しかし聞き捨てならない一言を渡した。

「無駄ですよ。それは一度継承されると、継承者の衰えを感じない限りその身から外れる事はないのです」

 衰え?

「……つまり、俺が老衰しないと外れない、と?」
「有体に言えばそういうことです」

 ちょっと待て。
 そこで落ち着き払って言われると流石に焦るんだが。
 俺の思考はしっかり了承済みらしく、トウイチさんが肩を竦めて笑った。

「正直に申し上げれば、継承者が死ねば王冠は解放されます。私どもにとっても心苦しいのですが、最悪の場合貴方を殺して取り返す事も、選択肢として用意されています」
「…………俺が望んだ訳じゃなくてもか?」
「はい。過去にも彼のような行動をとった事例は存在するのです。そしてその悉くで、気は進まずとも国の為に命を奪ったという結果に陥っています。
 結論としては、これ以上過去の愚行を繰り返さぬよう貴方を殺すしかない」

 にこやかに言われた言葉が、余りに重い。
 俺自身が望みもしない事でも?
 過去にも事例があった?
 悉く、

 殺した?

 じゃあ、俺も……そうなるのか?

 話の流れから考えればそれは至極当然の結果だ。
 過去の愚行がどんなものかは知らないが、恐らく例外は無いのではないだろうか。

 自分の置かれた現状がやっと理解出来た俺に、トウイチさんは相変わらず飄々とした笑みのままで。

 彼は―――彼らは、きっとこの決意を覆さないだろう。
 それが自分たちの国を守るためだとしたら、躊躇う事もない。

 えもいわれぬ寒気が、腹の底からじわりと上って来て、俺は思わず立ち上がった。
 見つめ返すトウイチさんの目が―――その瞳孔が、三日月の様に細い事に気づいたからだ。口元の穏やかさと正反対に、その目が押さえ込んだ殺気で酷薄な冷気を湛えていたからだ。

 こんな目を出来る人間は、いない。

 彼らの目は確実に獲物を屠ることを求めている。
 獲物………すなわち、俺を。
 きっと俺は逃げられない。

「本当に、申し訳ない」

 瞬き一つで表情を拭い去ったトウイチさんが立ち上がり、ゆっくりと手が持ち上がった。
 その爪が鋭く伸びていることを認めながら、動く事が出来なかった。

 ―――目の前に、人が立ちはだかるまでは。