一緒にいたかった。
抱き上げてくれた優しい手と。
でも今はそれだけじゃなくて、
このたった一つの手を―――。
今日は仕事はない。
探偵という仕事ははっきり言って地味だ。浮気調査やら失せ物探しなんてのが基本で、殺人事件に首を突っ込むなんて、正直滅多にない。
…………通常なら。
ソファに座ってぼんやりとしている俺の後頭部に、素晴らしく良い音を立てて盆が叩きつけられた。
「何をサボってるんです? 貴方にはリビングの掃除を頼んだはずですが」
「てめぇ、サグル………」
振り返れば、柔らかそうな亜麻色の髪にブルジョアなスーツを着込んだ猫耳男―サグルが盆を片手に立っている。
この家に住み始めてから家の管理を任された(と言うよりもこいつ自身が言い出したんだけど)サグルは、此れでもかとばかりに俺をこき使う。まあその甲斐あって、お化け屋敷と近所のガキに言われ続けていたこの屋敷は随分と小奇麗になったから、結果良しって事なんだろうけども。
「何やかいと、まーた叱られとるんかいな」
庭に続くテラスから、此方は全くもってラフな格好の体育会系な色黒猫耳男―ヘイジがひょっこりと顔を出す。
「庭の掃除終わったで。ついでに端っこの方に菜園作ってもぉたけど、ええやろ?」
「無農薬栽培を完璧にこなすなら幾らでもやってください。ご主人様には健康に良い物を食べて頂きたいですからね」
「任せ。食い物に関したら俺かて煩いで」
力仕事一般を任されているヘイジは、広い庭に意義を見出したらしい。鬱蒼としたジャングルは消え、人間でも野良動物でも過ごし易い、綺麗な庭が出来あがっている。一見がさつそうにも見えるヘイジの仕事とは思えないほどだ。
新一に拾われた時は考えられなかった、こんな時間。こんな瞬間。
あの時が、なければ―――。
「当事者抜きで、話進めるんじゃねぇっ!!!」
ぜーはーと肩で呼吸する新一に、周囲の一族と俺達は目を丸くした。
「新一?」
「座れ」
「え?」
「座れ! てか床! 正座!! てめーらもだ、そこの男二人!! 王様だか何だか知らねぇけどあんたも、爺さんも!! 猫どもも集合!! こっち来てちょっと話聞け!!!!」
さっきまで一族の殺気に怯えていたのが嘘のような豹変振りに押され、俺達は慌てて新一の前に正座した。王冠を持つ者の言葉に逆らう事も出来ず、一族たちもわたわたと部屋に入り、馬鹿みたいにぎゅうぎゅう押し合いながら、新一を見上げる。
「まず、かいと」
「は、はい」
「てめぇふざけんな!? 勝手に人の人生決めやがってコラ、しかも開き直り具合から考えて狙ってただろ!!」
「へ、はい、でも、それはその、新一と一緒にいたかっ…」
「黙ってろ」
「はいっ」
無茶苦茶激怒した顔で睨みつけられ、俺だけじゃ無く一族や親父たちも血が凍る思いで身を竦めた。
びくびくと首を伸ばそうとする俺に、新一は容赦ない言葉を叩きつける。
「言葉通じるなら通じるでやり方ってもんがあっただろ!? こんな一生物いきなり背負わせやがって、何様だ!?」
「いや、でも猫が喋ったって、新一信じなさそうだし、」
「ソレしか現実と事実と真実がねぇんなら俺だって信じるんだよ!! 大体人の姿取れるんだったらそっち先に見せりゃいいだろうが!! 動物ってのは保険効かねぇんだぞ、金高いんだぞ!? 幾ら家が金あるって言っても、こんだけの猫に予防接種やら避妊させたら家計なんざ簡単に傾くってんだよ!!!」
「あ〜、僕等はそこらの野良猫とは違」
「黙れって言ってんだろ」
「は、はい、済みません」
口を挟んだサグルを怒気たっぷりの視線と言葉で黙らせ、新一は暴走を続ける。
いや全く暴走としか言い様のない切れっぷりだ。
「てめぇアレだな? もしかしなくてもあの白猫か」
「はい、僕はサグルと言いまして、彼を連れ戻しに」
「名前なんざこの際どうでもいいんだよコラ」
「は、はいっ」
「それで? てめぇはかいとを連れ戻しに来たってか?」
「あ、僕だけじゃなく彼、ヘイジも、」
「おんどれ人ん事売りおるんか!?」
「売るだなんて人聞きの悪い、僕は事実を」
「黙れってのが聞こえなかったか、あぁ?」
「…………」
「…………」
新一の目がサグルとヘイジに向いているちょっとの隙に、父さんがこそりと俺に囁く。
「キッド……本当に彼と結婚する気なのかい?」
「………アタリマエジャン」
ちょっと、目が泳いだ。
「何コソコソしてやがる」
「いえ、何も」
「ごごごごめんなさいっ」
親子手を取り合って身を竦める。情けないが、本当に恐い。
「あのう、坊ちゃまたちはその、悪気があった訳ではなく………」
「悪気があったらだぁ? そんなもん
てめぇら即三味線に
決まってんだろ、ふざけた事言ってんじゃねぇぞオラ」
「は、も、申し訳ありません」
ジイちゃんのフォローも効かない。その上三味線と聞き、目が真剣なのを見て、一族が震えあがる。
本気だ、今の新一なら本気でやってのける。
怒れる新一を前に、俺達は恐怖で縮こまるしかない。
「し、新一君? あの悪いのはうちの愚息だからして、寺井や民は関係無」
「んな事俺が知るか」
「そ、そうだね」
父さんですら押さえられない辺り危険だ。
ここは兎に角落ちつかせないといけない!
どうやら俺だけじゃなく他の皆も同じ考えだったらしい。
「しっ、新一、一旦お茶にしない? 一杯喋って喉乾い」
「黙れっつったのが聞こえなかったか、それともてめぇそんなに三味線になりてぇか」
「ごめんなさい、それだけは勘弁してください」
思わず平伏。
そうして俺達は一晩と半日、そこで延々新一に説教を食らう羽目になり。
途中から論点がずれたり茶々を入れたヘイジが物凄い蹴りを食らって白目剥いたりしたけれども、俺達の誰一人として三味線にされる事は無く。
結局の所、新一が何を言いたかったかと言えば、
「過去がどうだったからとか昔からの慣習がどうとか、そんな詰まらない事で、誰かを殺そうとするな! 例えそれが重要だったとしても、失われた命が空けた穴を埋められる律法なんて、誰も作れやしねぇんだ!」
それは死にたくないって命乞いではなくて。
消されてしまった命を、それによって生み出された哀しみや憎悪を知っている、探偵としての言葉だった。
「確かにこいつがやった事は許されねぇ事かもしれない、でも巻き込まれた俺にも、俺を信じてくれたこいつにも、命を奪われるほどの罪があんのか!? 聞けばてめぇら人間なんて目じゃない位長生きしてんだってな、だからか? そんな簡単に殺しちまえばいいって発想になるのは」
「違いますよ、前例としてその力を利己的に利用する人間が多いからこそ……」
「でも違う人間もいたはずだ。一緒に生きようとして、殺された仲間だっているんだろ?」
「それは…そうですが…」
「そいつらの言葉、きちんと聞いたのか? 何も言わずに殺されようなんて奴らいなかっただろ!? その程度の事すらしないで、律法だからって、疑問にも思わずに今まで同じ事繰り返して来たのかよ!?」
そんな哀しい事をやってきたのか。
吐き出す様に呟かれた言葉に、俺達は沈黙するしかなかった。
少なくともこの人を殺せば、隣のお姉さんは俺達の仕業だと気付くだろう。そして俺達を憎んで、探すだろう。彼女は俺達の事気付いていたみたいだから。
離れて暮らしてるご両親も、都内や大阪にいるっていう友達も、皆。
俺はその哀しみや憎悪を受けとめる事なんて出来ない。
…………俺だって、国を捨てるだけじゃ済ませない、きっと。
一頻り訴えて説教し終わって、皆が黙り込んで。
嫌な沈黙の後に掠れた声で「茶」とだけ言った新一に、寺井ちゃんが慌ててお茶を出して、何となく一族一同去り難い何かを感じてリビングにかたまっている合間に、俺は父さんと庭に出た。
小さな沈黙の後、俺は最初から絶対に譲らないと決めてた一言を漏らす。
「……親父、俺引かないからね」
「キッド」
「かいとだよ、親父。俺は、かいと。新一に拾われた猫、だよ」
そう。
それが、俺だったんだから。
「今回の事は、俺の浅慮から始まった事で、俺のひとめぼれのせいでこんがらがっちゃったけど、でも引かない。俺は新一が好きで大事で堪らないから。だから絶対に引かない。例えそれが一族全部敵にしても」
俺の大事な人を、亡くす事なんて、させないんだから。
それから、疲れ切った新一を寺井ちゃんに任せて、俺達は庭で緊急猫会議。
新一の訴えと俺の根性の説得は、どうにか頭の固い老人(猫)どもにも判ってもらえたらしい。
「まあ、この世界を知るのに良い機会って事にしておこう。……彼ならば、大丈夫だろうし」
「うん。多分俺が知ってる中で一番、力ってものの恐さを知ってる人間だと思う」
「可愛い孫の顔を見るのが遠くなるが、それも我慢してあげるとするか」
父さんはそんな軽口で俺の肩を叩いて、にっこりと笑った。
「じゃあ、私たちは一度帰るよ。色々としなければならない事も出来たし」
「うん」
ぞろぞろとお伴(とはいえ猫を引き連れてるから異様だ)と帰路につこうとした父さんを、にこやかに見送ろうとした、その時。
「サグル、ヘイジ、後は頼んだぞ?」
「えっ!?」
意外な、でも有り得る事として思っていたけどあって欲しく無かった可能性を目の前にどんと置かれ、俺は思わず間抜けな声を上げた。
てか、なんでこいつ等!?
「当然だろう? 彼等は元々王の秘書官となる人物なんだから。王が新婚だろうと別居だろうと関係なく、王の傍で執務に励むのが彼らの仕事だよ」
「ででででも」
「それとも、何かい? 君一人でこの大きな屋敷を管理するつもりかい? 王お一人でも随分と手間が掛かっておられるような場所を、毎日毎日王の手を煩わせず君一人で何とかするとでも?」
「いっ」
「王とかいと様の事はお任せください、トウイチ様。あの方には恩義もございます」
「せや、大船に乗った気持ちでおってくれてええよ。かいとの事は別としても、王の手を煩わせる何て事、絶対あらへんから」
俺を両隣からがっちりホールドして、爽やかな笑みを浮かべるこいつらが憎い。
「てっ、てめぇらなぁ!!」
「何か? 新一様にはしっかりとお許しを頂いていますよ?」
「ええっ!?」
「嘘言うてどうすんねん。王の補佐および警護と、次代様の監視、確かに承りましたで、トウイチ様」
「監視ってなんだぁ!?」
じたばたする俺を綺麗さっぱり無視して話は進められ―――。
「ただいま〜」
聞こえた声に俺達の耳が一斉にぴんと立つ。
「おか………」
『お帰りなさ〜いっ!! お疲れ様、新一っ!!』
咄嗟に猫になって玄関へと走り出る。こっちの方が人型よりも断然早い。
無造作に靴を脱ぎ、歩いてくる新一の足に懐き、ごろごろと喉を鳴らす。
「歩き難いんだよ、テメェっ!!」
「ちえ〜っ」
ぼやきながらぽんと人型になる視線の先で、手荷物を恭しく受け取るサグルがにっこりと微笑む。
「おかえりなさいませ。お昼はもう食されましたか?」
「ソレ所じゃなくってさ、まだ。腹減った。何かあんの?」
「はい、今丁度パスタを茹で初めておりました。今日は少々暑いですから、トマトの冷製パスタにいたしましょう。八百屋さんで良いトマトとお野菜も頂きましたから、きっと美味しいですよ」
「うお、美味そ。サグルが家に来てマジ良かった〜」
ぺた〜っと懐くのを見て、つい耳が立つ。
どうもサグルは可愛がられている気がするっ!!
「お〜、お帰り〜。庭完璧んなったで〜」
「ただいま。サンキュな、ヘイジ」
「ついでにちっこい菜園作ってしもたケドも、ええよな?」
「ああ、構やしねぇよ」
よく頑張ったな〜、なんて言いながら、少し高い位置にあるヘイジの頭を撫でている。
擽ったそうにしながらもヘイジは嫌がらずににまっと笑っていたりして、とってもムカツク。
「新一、俺はぁ?」
「何かしたか」
「一日中新一の事考えて、一番にお出迎えしましたっ!!」
「取り敢えず三味線に一歩お近付きだ、ヨカッタな」
「Σ(-△-;」
随分と悲壮な顔になったらしい。
新一はくすくすと笑いながら、乱暴に俺の頭を撫でてくれた。
「ばーか、マジでするかよ」
「うう、新一が言うと冗談に聞こえないよう〜」
ぎゅーっと抱き締めると、ぽんぽん背中を叩いてくれて、俺はソレだけでも幸せになる。
こんな日が、ずっと続けばいい。
新一の方がずっと先に年老いて死んでしまうけど、きっとこの心は変わらないだろうから、最後のその瞬間まで、ずっと。
ね、新一―――――。