天災 -GENIUS and CALAMITY-






耳に届いた息を呑む音に、ああこいつも怖いのかなあ、なんて考えた。


 一瞬は本当に足が浮いたと思う。
 勢いで掴んだ腕をひねり上げて、工藤の体を引き戻して腰に腕を回す。背後から抱きしめ、少し背を反らして俺に寄り掛からせるようにして、つま先だけが縁に引っかかるように立たせてやった。

「…っ、ぁ!!!」

 ひねった腕が軋んで、工藤がうめく。へえ、可愛い声。

 すぐ目の前に黒い髪。やっぱり俺より低いね。抱いてる腰も何だか細くて柔らかい。実は女だったり? 聞いたらきっとすげー怒ると思うけど、聞いてみたいなあ?
 痛みと恐怖、かな? 身体が震えてる。不安定だからってのも理由かも知れないけど、大丈夫、落とさないから安心してねー♪

「…ぅ………っ、キッド…!!」

 ああん、くどーさん色っぽい♪

「じっとして……」

 耳の後ろに唇を寄せて囁くと身体がびくっとしなった。
 うんうん、可愛い反応だ。不謹慎だけど、自分がやった事で美人さんがこんな風に反応返してくれるのってやっぱ嬉しいし?

 でもやっぱり中身は工藤新一なんだよな。

 苦しい息の中、へっ、と笑う声がした。

「……っ…図星、かよ…」
「…………」
「見抜かれ、た、八つ当たりで…んなこと、されるとは、なっ!」

 お褒めの言葉ありがとお。
 自分の状況理解した上でそう返せるあんたって好みだよ。

 だから。

「ええ、全く私も人の子ですから」
「へ…っ」
「腹を立てる時は立てるんですよ?」

 ほんの少し、反らした胸を起こす。自動的に前につんのめる形になる工藤がまた息を詰まらせた。

「さて、では貴方をどうしましょうか…?」

 軽く耳朶を噛んで頬擦り。
 びくびくする身体がやっぱり可愛い。実は敏感さん?

「て、めぇ……!!」

 あ、怒った。
 いやあ、でも工藤? お前今の自分見えてる? 耳真っ赤っか。竦めるみたいに震える肩がすげー可愛いんですけど?
 きっと分かってないんだろうなあ、自分の外見なんて。きっと自覚があっても「ちょっと女顔」程度なんだろうねえ。
 美しきは罪ってか? かんけーないけど。

「どう、する気、だ」
「そうですね。ここから突き落として、というのも考えてはいるのですが」

 さらりと言うと、やっぱり動きが止まった。
 だってなあ?
 なんつーか見事に暴かれた訳だし?
 やっぱ基本は口封じなんだけどさ。でも殺しはKIDの主義じゃないんだよなあ…。

 全く動かなくなった工藤に、俺は優しく優しく聞いてやる。
 ま、選択肢を与えてやろうというKID様なりの親切心という奴だよ。

 もし警察に飛びこむってんなら、マジ殺すけどさ。
 そんな考えおくびにも出さずに俺は微笑んだ。真後ろだから工藤には見えないけど。

「貴方はどうしたいですか?」
「……んけーねぇよっ!」

 は?

「俺は、考えた通りかを、聞きに来ただけ、だっ!!」

 …………なんですと?

「………つまり、名探偵? 貴方は、自分の推理の答え合わせに来ただけだと仰るんですか?」
「それ以外に、わざわざこんなとこ来るかっ!!」

 …………………え

 ええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!???

 何だそりゃあっ!?

 探偵さん? あんた何がしたかったんだ!?って答え合わせなんだけどっ!!
 あんだけ長々話したからには勿論リスクも考えて然るべきだろ!? 俺だからまだいいようなものの、普通なら即殺されても仕方ないような事態に今あんたは陥ってるんだよ!!? 分かってるのかあ!?


「…………馬鹿?」
「んだとぉ!?」


 つい口に出したら、苦しげに首を捻じ曲げて俺を睨んだ。
 いや、だって。それ以外に何を言えって。

「貴方は……危険だと考えないんですか?」
「おめーが、殺しなんて極端な行動に出ると思わなかったから、な…どうでもいいからいい加減離せっ!!」

 身体の震えが大きくなってる。まあつま先立ちだから限界だろうね。
 でも離してやーらない。

「申し訳ありませんが、もう暫くこのままでお願いします。離すと貴方は何をするか分かりませんから」
「くっ…そ…………」

 まあでも、腕は解いてやるかな。
 ひねっていた腕を離すと両手で腰を支えた。やっと足がついてほっとしたのか、強張っていた身体が弛緩するのが分かる。
 何だか可愛くなってきゅーっと抱きしめちゃったけど、次の瞬間腕の中の探偵さんが暴れだしたせいで、俺はバランスを取るのに慌ててしまった。

「危ないですよ? どういう場所に立っているかお解りでしょうに」
「なら早く離せよ!! 男に抱きしめられて平気でいる男がいるかぁっ!!」
「保険ですよ。こうしていれば貴方お得意の蹴りも余り効果を成しませんから。万が一私に何かあれば、貴方だって危ない訳ですし?」

 言いながらすこ〜しだけ、身体を前に傾けた。
 勿論工藤の身体も前のめりになる。俺の前に立ってるわけだから俺以上に不安定で、ぎりぎり。
 それまで俺を引きはがそうとしていた工藤の手が慌てて腰を抱く俺の手を掴んだ。わたわたと振られた左手なんて、そこに漂ってたマントを引っ掴んで。

「あっ、危ねぇだろーがっ!!!」

 冷静沈着、頭脳明晰…………なんて看板、どっかに飛んでいったみたいだなあ?
 落ちないよう必死な工藤は本当にただの高校生で。

 うわ、かーわいいvv

 ガキだった時とか、この間会った時とか、そんなのすっ飛ばして可愛い反応してくれる。
 もうちょっと遊びたいなあ。

 マントを握る左手を掴んで、キス。
 途端に吼えた。

「気色悪ぃ事すんなっ!!!」
「済みません、貴方が余りに可愛らしいもので。流石の名探偵もこの状況では冷静ではいられないのですねえ」
「男相手に可愛いって言うなっ!!」
「おや、事実ですが?」

 左手をつないだまま、また耳の後ろにキス。
 今度はすぐ声が出せなかったみたいで、息を呑む音が聞こえた。声だしたら嬌声になっちゃう〜、って?
 …………聞きたいかも。
 調子に乗って耳朶を噛み、舐め上げる。柔らかくていー匂いのする髪にキスして、そのまま項に吸いつくと、小さく息を吐く音。
 やっぱ声は出してもらえないか。つまんねーの。

「て、め……何したいんだよっ!? 野郎相手にすることじゃねぇだろ!!」
「普通はそうですね。でも名探偵? そんなことが関係なくなる人間というのも、この世には存在すると思いませんか?」
「そん、っ!!」

 顎を押さえて首筋を露にして、触れるか触れないかぎりぎりで唇を寄せる。

「貴方は恐らく、万人を狂わせる媚薬たりうる人物ですよ。その瞳も、言葉も全てが人を寄せ付け、この身体に触れるべく人々はその愚鈍な頭を巡らせる」

 肩越しに睨み返す目が、街灯に光った。
 綺麗な青。
 一瞬それに視線を絡ませて、思わせぶりに目を閉じてやる。

「隣に立つ事を許された者はその地位が脅かされた時、貴方へ向けていた仮面を脱ぎ捨てて獣と化すでしょう。貴方の寵を受ける者はその思いが失われる事を恐れながらもひたすらに貴方を愛する事しか出来ない。
 天の高みを見つめ続ける貴方に全ての者が跪き、手中に収められないと知った愚か者達は貴方を砕き貶める為に必死になる……」
「何、言って……」
「無知もしくは純粋は罪となると思いますか?」
「無知と純粋はイコールじゃねぇだろ」
「いいえ、イコールとなりうるのですよ。貴方と言う存在においては」

 じっとして俺の言葉を聞いてる。
 一言も漏らさずに聞く為に。
 何か嬉しくなっちゃうな。

「探求する、知識を求める、謎を解き明かし真実を求め続ける貴方は、とても純粋にそれを続けるのです。それ以外、その道以外に視線を向ける事を忘れるほどに。
 たとえその道のすぐ脇に刃の群れが漂っていようとも、そちらに真実の欠片が見えたなら貴方はまっすぐにそちらへ向かう。刃が身体を切り裂き貫く事などお構いなしだ。刃が鋭い事も、恐ろしい事も知っているのに知らぬように。まるで無知者のように」

 そのせいで今のこの状況があるのですよ?
 小さく囁いてやると、また身体を強張らせてる。反応いいねえ。

「貴方は純粋な無知者になりうる。その純粋さゆえに人は惹かれ、無知ゆえに牙を剥く」
「…………結局、何がいいたい?」
「さあ? 貴方を正しく理解しました、ということでしょうか?」
「してるかぁっ!!」
「暴れると危ないですよ」

 じーっと俺の腕の中に収まって。
 ああ、何か考えてるなあ。
 さあどうする? 俺の事突き飛ばす?


 何故か沈黙。


 ねえ?
 名探偵、どうしたの?

 抱きしめた腕に、不意にとくとくと鼓動が響いた。
 凄く忙しい鼓動。
 場所が場所だから、っていうよりは……この状態に緊張してってことかなあ?
 俺が抱きしめてるから?
 まあこんな良い男に抱きしめられてるからねえ(笑)、分からないではないけど…やっぱり随分可愛い反応だよねえ?
 俺の腕をきゅーっと握って、じっと地面を見詰めてる。
 後ろから見てると、耳が赤いのが分かるんだけど?

「……名探偵?」
「っ!! …わざわざ、耳元でいうんじゃねぇよっ!!!」

 腕に伝わる鼓動が早くなった。
 心臓発作でも起こしそうな早さ。
 …………何だかさあ、ちょっと……?

 俺に反応してるってのは分かるんだけど…これって、さあ?

 …いじめてみたくなった。

「名探偵………随分と鼓動が速いですね?」
「……っ」
「そんなに私に抱かれているのが、嬉しい?」

 反論の前にくるりと身体を反転させ、きちんと屋上に降ろしてやる。
 腕を解くと一瞬の間を置いて慌てた様子で俺から離れた。3mほど間を置いて、毛を逆立てた猫みたいな風に警戒してる。
 おやおや、顔真っ赤だよ♪
 潤んだ青い目。乱れた黒髪。身体を自分抱きしめるように腕を交差させてじりじりあとずさる。
 うわあ……♪

「この、変態っ!!」

 ………言うに事欠いてあんた、変態かよ。

「心外ですねぇ」
「事実だろうがっ!?」
「ならその男に抱きしめられてときめいてた貴方は何なんです?」
「誰がときめくかよ!!」
「まあ事実がどうであれ、私としては嬉しい限りですよ。貴方が私のしたことで心を動かす…何よりの幸福です」
「……〜〜っざけんな!」

 うわ♪
 可愛い可愛い可愛い!!
 そっくりな顔してそんな態度しちゃ駄目だよ〜? 基本的に俺、自分の顔好きなんだから。
 まあでも、俺とはやっぱ違うけどね。

 でも逆にそれがいい刺激。
 
「何笑ってやがるっ!!」

 おや、笑ってたか。
 でもほらさあ? 今の顔見ると誰だって微笑ましくなっちゃうと思うんだよ?

「いえ、あまりに名探偵が可愛らしいもので」
「男相手にんなこと言ってるから変態だっていうんだよ!!」
「……理由は先ほども言いましたが」

 まあ仕方ないだろうけどね♪
 ぐぬぬと黙り込んでる姿も可愛くて、笑いが止まらない。
 一歩近づくと、三歩ぐらい逃げた。
 そこまで反応されると傷ついちゃうよ?

 しかし、何時までもこの格好でこの場所にいる事も出来ないんだよねー。だって一応犯罪者だし?
 とっとと宝石返して帰りたいんだけど、同時にもうちょっとこいつと遊びたいなんて考えちゃう。
 だってねえ?
 俺の予想間違ってなければ、多分間違ってないけど。

 こいつ、俺の事嫌いじゃない。というかどっちかっていうと好意の方が大きいんだ。

 楽しいじゃない。
 暫くこいつで遊べそうじゃない?
 きっと。

 小躍りしたい内心を押さえこんで、俺は右手を掲げた。
 そこに乗る女王様を、しっかりと工藤に見せつけながら。