ファブレ公爵邸に賊が侵入し、それと打ち合ったルークが目が覚めたのがついさっき。
この事態を想定して一応ポケットに財布を入れてあったし、幾つか宝石も持ってきたので金銭面はばっちりだ。武器もブーツにスローイングスパイクをそれぞれ仕込んであるのと、腰ベルトの後ろに二本ブッシュダガーも刺し込んである。スローイングスパイクは虎の子として、ブッシュダガー程度でもここの魔物くらいなら大丈夫だろう。
身体の状態も一通り確認して、いざ渓谷を抜けようと歩き始めたところで後ろから待ったが掛かった。
まあ当然だろうなと思いつつ振り返る。
案の定、綺麗に無視され続けて怒り心頭といった風情の賊の女―――ティア・グランツがずかずかと歩み寄ってきた。だからと言ってルークとて不審人物をそのままうかうかと近寄らせる趣味はない。
喉元を狙って木刀を振り抜くが、ティアは小さく悲鳴を上げつつも辛うじて避けた。思わず舌打ちしたのまで聞かれた。
「あ… あなた、なんて乱暴な人なの!! いきなり武器を振るうなんて、常識を疑うわ!!」
「現状を理解した人間の十人中十人が俺の行動に賛同してくれると思うけど。いきなり家を襲撃してきた賊に近寄られて警戒しない訳ないだろ」
「だからそれは誤解だと言っているでしょう!! 私が狙ったのはヴァン一人であって、貴方を巻き込んだのは不可抗力だったのよ!!」
「…………」
頭が痛い。
全く持って頭が痛い。
知識の無かった『以前』の自分は何故これに納得できたのだろう。こんな馬鹿な話は世界の何処にもないじゃないか知識って大事だよなーと思わず現実逃避しかけたルークだが、何とか気力で現実に戻る。
「あのな、お前どうやってファブレ邸に入ったんだ? うちは父上の許可が無い奴は入れないんだぜ」
「仕方ないから譜歌を使ったわ。警備兵を眠らせたの。殺した訳ではないから大丈夫よ」
「…何でヴァン、師匠を狙ったんだ?」
「貴方に言っても理解できないと思うわ。そう軽軽しく話せる事でもないし、貴方には関係無い事よ」
「……ここ、どこだ」
「私にも分らないわ。バチカルでないことは確かだけど」
「………んじゃお前、これからどうする気だよ」
「…貴方を巻きこんでしまったのは悪かったと思ってる。だから、責任を持ってバチカルまで送るわ。それが私のせめてもの義務だもの」
「…………魔物いるよな。途中、戦う事になったらどうすんだよ」
「…… 貴方のその木刀は飾りなの? 私は音律士なの。貴方が前衛に立つ以外無いに決まってるでしょう」
「……………お前、ダアトの、軍人、だよな?」
「そうよ。見て分らない?」
一問一答とばかりに言葉を繋いでいくにつれて、気力がごりごりと削られていくのが分る。
『以前』の自分は何故(略)。知識を正しく備えたルークには信じられないことばかりだ。というかこんな非常識な話があって堪るか、と世界に向かって叫びたくなった。
しかし、世界に向かって叫ぶくらいなら本人に向けた方が幾分か気が済むものである。
故にルークは真っ直ぐにティアを見つめ、口を開いた。
「お前、馬鹿だろ」
「なっ―――」
「馬鹿だろ、いや馬鹿だ。アホでもいい。世間の常識を知らない馬鹿でアホで自分勝手な感情先行でしか物を考えない直情女だ。今自分がどんだけ馬鹿なこと言ったか分ってないだろ、分ってないよな、ああそうだ分ってない。いいぜ、分った。お前の義務に従うよ。バチカルまでしっかり送ってもらうからな。決定だ。途中離脱は絶対許さないぜ。……ま、その前に、一つお前が置かれた現状を正しく説明してやろう。まあ黙って聞こうぜ。
降嫁したとはいえ、シュザンヌ公爵夫人は現国王インゴベルト六世の異母妹、そしてその息子である俺ルーク・フォン・ファブレは国王の甥であり第三王位継承者だ。ぶっちゃけ王族な訳よ。理解出来たか? その位は出来るよな? 我がキムラスカ・ランバルディア王国は名前からも分るように王制で、王族を襲撃した者は例外無く死罪だ。理由があったとかないとか、そんなのは実に瑣末な問題だ。つまりお前がどんな理由で持ってヴァン謡将を襲ったとしても関係無い、ファブレ公爵家に招かれざる者が一歩家屋敷に足を踏み入れた時点でもうアウトなんだよ。
ましてやお前、警備兵全部眠らせたってんだろ。加えてさっきも言ったけど、俺、第三王位継承者な訳。第一位はナタリア王女で、第二位はファブレ公爵。でも俺はナタリア王女と婚約してるから、実質上の次期国王な訳よ。さてここで問題です。俺が魔物と戦ったらどうなるでしょう? 怪我をしたら私が癒すから問題無いとか思ってるか? はい駄目ー、お前本当に馬鹿だよな。
酷いよなー。ここまででお前がやらかした犯罪歴順に挙げてってやろうか? まず許可無く公爵邸へ侵入した住居侵入罪、譜歌による住民への危害で傷害罪、公爵の客人の暗殺未遂、公爵家の警備を眠らせ家人を危険に晒した不法侵入幇助、公爵家襲撃による騒乱罪、公爵子息誘拐による未成年者略取及び所在国外目的略取・誘拐罪、自身が臣民を護るべき軍人であるにも関わらず戦闘をさせようとした強制行為、他国王族に対する不敬罪。…………お前命足りないんじゃぬぇ?」
侮蔑と嘲笑を含めて鼻で笑ってやる。
だが、これだけ並べ立てたにも関わらず、ティアはそれらを自分の罪とは認められないようだった。
「そんなの、貴方の勝手な想像でしょう!? 私はそんな罪を犯した覚えはないわ、それに警備兵を眠らせただけだって言ったでしょう、危害なんて加えてないじゃない!!」
「……ホント馬鹿だな、相手の意思に関係無く眠らせるのは立派な傷害だぜ。殴って気絶させようが譜歌で気絶させようが、相手がそれを望んでなきゃ犯罪なんだよ」
「―――っ!! でも危険に晒した覚えなんて、」
「本気で言ってるのか? あのな、お前警備兵眠らせたんだろ? つまりその間はファブレ邸は完全に無防備、泥棒目的の連中が入ってきても誰も止められないんだぜ? もしも盗みの途中でそいつ等がメイドや母上に何か危害を加えたら? そういう状況を危険っていうんじゃねえの?」
「それは、でも、その……」
「公爵家は王城のすぐ隣だ。そこでそんな騒ぎがあれば十分騒乱罪として見て取られる。ましてやその果てに国の跡継ぎである公爵子息がいなくなったなんて事が発覚したら、それこそ国家反逆罪相当の話だ」
そこまで説明されて、やっと自分の立場の危うさに気付いたらしい。
がくがくと震え出したティアに、それでもルークは追求の手を緩めない。
「それにさ、お前ちょっと俺を連れ出した事、ちょっと甘く見過ぎ。実は俺、何か国家に関わる預言読まれてるらしくてさ、安全の為にも二十歳になるまで屋敷をでちゃ行けないって国王陛下からの勅命が出てるんだよな」
「な―――なんですって…」
「マジだぜ。何なら大詠師モースに聞いてみな。俺は預言の内容までは知らないけど、どうやら今年内らしいってことは知ってる」
飄々と告げるルークの目の前で、マロンペースト色の頭が沈んだ。見ればその場にへたり込んでいる。どうやらショックが大きかったらしい。
それもそうだろう。『以前』の知識からも、口では中立だと言ってはいても、ティアは明らかに預言遵守派だ。そんな自分が、しかも始祖ユリアの子孫である自分が、自らの行為の果てに預言を外そうとしているのだから。
青ざめた唇が「嘘よ」「私そんなつもりじゃ」などと全く建設的でない事ばかりを漏らすのを見ながら、ルークは歌うように続けた。
「自教団自衛軍総長暗殺未遂ってだけでも十分教団に背いてる行為だってのにな。まさか団員自ら預言に背こうとするなんて思いもしなかったぜ」
「っ、わ、私はっ!! そん、そんなつもりは無かったの!! まさか、こんなことになるなんて、私知らなくて、」
「知らなかろうがもうやっちまったんだからどうしようもないんじゃぬぇ? 例え俺が無事に帰れたとしても、取り返しなんてそう簡単につくとも思えないしな」
「……」
「お前の様子からして、完全に個人的な理由で師匠を襲ったんだろ? 個人的な理由で、教団だけじゃなくキムラスカ王家まで結果として巻き込んだ。これは普通に国際問題だぜ。師匠が来たのが昼前、今は夏のわし座が天上にあるからもう深夜だな。それだけの時間があれば、抗議なんてすぐに飛ぶ。ここがどこかは知らないけど、無事キムラスカに戻れたとして…… 相当気まずくなってんだろうな、二国間。
……で? どうする?」
「…………え、」
「当然お前は俺を送ってキムラスカへ向かうんだろ? 約束したもんな。それがお前の、義務、だもんな」
腰ベルトからブッシュダガーを引き抜いて左手に構え、右手で優しくティアを引き起こす。
「大丈夫、お前後衛だもんな。俺が護ってやるから、安心していいぞ。バチカルまで、だけどな」
慈愛に満ちた笑みで、しかししっかりと右手に力を篭めて告げてやると、ティアは締められた鳥のようなうめき声を上げた。
当然だろう。今までの説明とルークの態度で彼女が理解したのは、自分の歩く先にあるのは確実に断頭台でしかない、という事なのだから。ルークのこの優しさは、死刑囚たる自分への最後の慈悲なのだから―――。
震えるティアを優しく先導しながら、ルークは弾む気分のままに、真っ向から飛びかかってきた魔物を切り伏せた。